以前からある種の頑張る人間に対して、嫌悪感を抱いてました。典型的な例でいえば、起業をしたいと言って、人脈を作るために異業種交流会に出る人間です。
何そのつまらない行動。自分自身の脳味噌が素直に喜ぶ行動ではないでしょう。美味しいご飯を食べたり、運動をしたり、デートをした方がいいんじゃない?
ただし、彼らを突き放して、見下すわけではありません。むしろ彼らは僕自身であると、強い親近感を感じます。彼らに対して「どうでもいい」でなく、積極的に嫌悪感を抱いてしまうのは、何らかのコンプレックスが影響しているからです。
では、僕は何に対してコンプレックスを抱いているのか。長年の疑問でしたが、先日、ビジネス研修を受けて、改めてこの疑問に向き合いました。
研修のテーゼは「明確な目標を立てる」ことから始まる、「現状に甘んじない」「労を厭わない」「報酬や評価などの外的動機だけでなく、使命感など内的動機を持つ」などの啓発的な内容です。
しかし、腸のねじ曲がった僕は、そのクリアなテーゼの数々に疑問を感じます。例えば、「現状に甘んじない」。
現状に甘んじたいですよね。甘んじることのない人生など、辛くて仕方ない。いや、仰ることは理解しているつもりですし、その態度が仕事上で機能することは認めます。しかし一方で、そこまでクリアに言えることか?と思うわけです。だって、現実には色々あるわけですから。
余談ですが、僕は「人間と言語の獲得」について以下のように捉えています。
赤ちゃんとして産まれた瞬間、人は言葉を喋ることが出来ない代わりに、世界をありのままで感じています。彼らが言語ではなく、音として発する「あsdfghjkl」は、十全に感情を表しています。ただし意味不明瞭ですので、他人に意図は伝わりません。
他人に意図を伝えるためには、言語を獲得するしかありません。しかし多様な感情に対して、言語は有限です。ましてや子供の言語能力などは一部の天才を除いて大したことはありません。
先日、地域の小学校を訪問する機会があり、クラスの壁にかけてあった「六年生へのお別れの言葉」というコンテンツに惹かれました。何が面白いって、全員判を押したように「中学校に行っても頑張って下さい」と書くのです。僕は彼らの感情がそこまで薄っぺらいとは思いません。むしろ貧弱なボキャブラリーに抑圧された分、余計に感情を感じました。
成長して大人になると、ある努力を怠らなかった人間は、言語能力が発達し、ユニークな感情をユニークなままで伝えることが出来るようになります(たぶん)。
ある努力というのは、貧弱なボキャブラリーに抑圧された感情を意識し続けることです。言葉が有限である以上、無限段階の感情を十全に表現することは出来ませんが、何とか微妙な感情を伝えたい。そのために四苦八苦したり、詰まったりしながら、慎重に心と言葉を付き合わせるのです。
言語を発するというのは、目盛りの最小単位が1cmの定規で手指の長さを測るような、手荒い作業です。そこで現実の無限性を知れば知るほど、言語によって失われる豊穣さを惜しむ気持ちが強くなります。
ただし、「構造的に言語が乱暴に使われてしまう」場面があります。それは、人が恐怖によってストックフレーズに支配される時です。
例えば、僕はライフネットの岩瀬さんのようなスーパービジネスマンをみて、焦る気持ちがあります。そして、なんだかよく分からんまま、「自分の武器うんたら」とか「グローバルかんたら」とかいうテーゼに飛びついてしまいます。
冒頭でかいたコンプレックスというのは、端的にいえば岩瀬さんのビジネス能力に対して、です。根本的に許せないのは、岩瀬さんに恐怖を感じる僕自身だともいえます。
しかし、恐怖による行動というのは、○○をしたいという内発的なものではありませんから、テーゼの意味を理解出来ていません。いやむしろ、テーゼの真の意味が理解出来ないからこそ、人は恐怖を感じるのです。
「意味はよく分からないんだけど、採用しないとヤバい感じがするので、採用する」、そんなテーゼを語る時に、人は乱暴になります。
僕の場合、僕の経験上、恐怖に居着く態度が幸せを導いたことはありません。
幸いにももう一人の僕はなんくるないさー精神の、快楽主義者です。一時の快楽に溺れて、あっけらかんと功利的には損にみえることをしてしまう。
でもそれを楽しんでくれる他人と自分がいて、だから僕は成立しているんだと思います。
今の僕は昔より強くなっていて、恐怖に居着いてしまうことが少なくなっています。つまり行動原理が「恐怖」ではなく、「楽しみ」になった。
行動原理が楽しみなんかになってしまうと、適切な義務が果たせないんじゃないか?って考える人がいたら、それは「恐怖」を元に考えているからです。なんくるないさー!僕は、今、何とかなっていて、実に楽しいのです。
さらにいえば、虚心坦懐に「出世したい」「居酒屋でじっくり話したいおっさんだと思われたい」「ギャグが受けるようになりたい」と思うのですね。で実は、それらを恐怖に居着いた上で目指す人よりも、僕の方が上手くやれるんじゃないか、とも思っています。
以上は、腸のねじれた生徒に正面から向き合って頂いた研修講師の方に対して、御礼を込めて捧げます。
ちなみにアプローチはまったく違いますけど、目指しているところは同じです(たぶん)。
何そのつまらない行動。自分自身の脳味噌が素直に喜ぶ行動ではないでしょう。美味しいご飯を食べたり、運動をしたり、デートをした方がいいんじゃない?
ただし、彼らを突き放して、見下すわけではありません。むしろ彼らは僕自身であると、強い親近感を感じます。彼らに対して「どうでもいい」でなく、積極的に嫌悪感を抱いてしまうのは、何らかのコンプレックスが影響しているからです。
では、僕は何に対してコンプレックスを抱いているのか。長年の疑問でしたが、先日、ビジネス研修を受けて、改めてこの疑問に向き合いました。
研修のテーゼは「明確な目標を立てる」ことから始まる、「現状に甘んじない」「労を厭わない」「報酬や評価などの外的動機だけでなく、使命感など内的動機を持つ」などの啓発的な内容です。
しかし、腸のねじ曲がった僕は、そのクリアなテーゼの数々に疑問を感じます。例えば、「現状に甘んじない」。
現状に甘んじたいですよね。甘んじることのない人生など、辛くて仕方ない。いや、仰ることは理解しているつもりですし、その態度が仕事上で機能することは認めます。しかし一方で、そこまでクリアに言えることか?と思うわけです。だって、現実には色々あるわけですから。
余談ですが、僕は「人間と言語の獲得」について以下のように捉えています。
赤ちゃんとして産まれた瞬間、人は言葉を喋ることが出来ない代わりに、世界をありのままで感じています。彼らが言語ではなく、音として発する「あsdfghjkl」は、十全に感情を表しています。ただし意味不明瞭ですので、他人に意図は伝わりません。
他人に意図を伝えるためには、言語を獲得するしかありません。しかし多様な感情に対して、言語は有限です。ましてや子供の言語能力などは一部の天才を除いて大したことはありません。
先日、地域の小学校を訪問する機会があり、クラスの壁にかけてあった「六年生へのお別れの言葉」というコンテンツに惹かれました。何が面白いって、全員判を押したように「中学校に行っても頑張って下さい」と書くのです。僕は彼らの感情がそこまで薄っぺらいとは思いません。むしろ貧弱なボキャブラリーに抑圧された分、余計に感情を感じました。
成長して大人になると、ある努力を怠らなかった人間は、言語能力が発達し、ユニークな感情をユニークなままで伝えることが出来るようになります(たぶん)。
ある努力というのは、貧弱なボキャブラリーに抑圧された感情を意識し続けることです。言葉が有限である以上、無限段階の感情を十全に表現することは出来ませんが、何とか微妙な感情を伝えたい。そのために四苦八苦したり、詰まったりしながら、慎重に心と言葉を付き合わせるのです。
言語を発するというのは、目盛りの最小単位が1cmの定規で手指の長さを測るような、手荒い作業です。そこで現実の無限性を知れば知るほど、言語によって失われる豊穣さを惜しむ気持ちが強くなります。
ただし、「構造的に言語が乱暴に使われてしまう」場面があります。それは、人が恐怖によってストックフレーズに支配される時です。
例えば、僕はライフネットの岩瀬さんのようなスーパービジネスマンをみて、焦る気持ちがあります。そして、なんだかよく分からんまま、「自分の武器うんたら」とか「グローバルかんたら」とかいうテーゼに飛びついてしまいます。
冒頭でかいたコンプレックスというのは、端的にいえば岩瀬さんのビジネス能力に対して、です。根本的に許せないのは、岩瀬さんに恐怖を感じる僕自身だともいえます。
しかし、恐怖による行動というのは、○○をしたいという内発的なものではありませんから、テーゼの意味を理解出来ていません。いやむしろ、テーゼの真の意味が理解出来ないからこそ、人は恐怖を感じるのです。
「意味はよく分からないんだけど、採用しないとヤバい感じがするので、採用する」、そんなテーゼを語る時に、人は乱暴になります。
僕の場合、僕の経験上、恐怖に居着く態度が幸せを導いたことはありません。
幸いにももう一人の僕はなんくるないさー精神の、快楽主義者です。一時の快楽に溺れて、あっけらかんと功利的には損にみえることをしてしまう。
でもそれを楽しんでくれる他人と自分がいて、だから僕は成立しているんだと思います。
今の僕は昔より強くなっていて、恐怖に居着いてしまうことが少なくなっています。つまり行動原理が「恐怖」ではなく、「楽しみ」になった。
行動原理が楽しみなんかになってしまうと、適切な義務が果たせないんじゃないか?って考える人がいたら、それは「恐怖」を元に考えているからです。なんくるないさー!僕は、今、何とかなっていて、実に楽しいのです。
さらにいえば、虚心坦懐に「出世したい」「居酒屋でじっくり話したいおっさんだと思われたい」「ギャグが受けるようになりたい」と思うのですね。で実は、それらを恐怖に居着いた上で目指す人よりも、僕の方が上手くやれるんじゃないか、とも思っています。
以上は、腸のねじれた生徒に正面から向き合って頂いた研修講師の方に対して、御礼を込めて捧げます。
ちなみにアプローチはまったく違いますけど、目指しているところは同じです(たぶん)。
面白いけど、携帯変えたら連絡くれよな。
返信削除津田
>津田
返信削除読んでくれてありがとう。
携帯変えてへんで。一応メールしといた。
>津田
返信削除あれ、メールがエラーで返ってくるので
okamoto.kaoru@gmail.com
にメール貰っていいかな?
お手数やでー。