僕の新人時代のトレーナーは、類稀な資質を持っていました。それは「他人に過剰な期待をすること」です。この一点だけで、僕は彼を全人的に尊敬しています。
「過剰な期待とは何か」(以下、括弧つきで<期待>)と問われると、僕は「ものごとのスタート」だと答えます。スタートなくしてものごとは成立しませんので、「ものごとのすべて」と言ってもいいでしょう。彼は、それを誰よりも持っています。
上司であれ、お得意先であれ、<期待>を他人から貰った人は幸せです。
ボンクラ社員でも、社長から「君を次期社長候補と見込んでいる」と言われれば、それに見合う努力をするでしょうし、お得意先との取引額が月に数十万円でも、「将来的には、数百万円になるという認識でいる」と言われればそれに見合った動きをします。
<期待>を他人から貰うのは、未熟さの表れでもあります。
なぜなら他人に先の手をうたれているわけですから。達人は自ら期待し、期待を周りにお裾分けするものです。
つまり<期待>をされることは、する側に対する敗北とも言えます。幸福な敗北です。
自らに、他人に、<期待>をする。それがスタートであり、すべてです。ただし、それさえ理解していれば出来るものではありません。
「期待」というのは、「願望」よりも確かな言葉です。「イチローみたいに野球が上手くなりたい」と望むこと(願望)は簡単ですが、プラスとして蓋然性を信じること(期待)は誰にでも出来ることではありません。
現に、僕がそれをブログにかいているということは、出来ていないどころか、理解すらしていない証左ですし(理解していることなんて、つまらなくて書けないので)。
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